東京が村社会をしてどうする。

日本語話者が減っていく。

 

人口が減るからだ。

 

すなわち日本の産業もシュリンクしていくということ。

 

神戸も各地に商業の拠点があるが、今後50年100年単位で見ればどこが潰れていこうが

不思議ではない。

 

さて日本の市場にも色々課題はあるが、

 

一番変化が必要なのは東京だ。

 

東京が変化せねば日本は変わらない。

 

まずTOPIX

 

未だに1株から株を買うことができない。

 

全て1口(100株)単位から購入可能になる。

 

これでよいのか。

 

というのは一番高い1口で例えばnintendoあたりだと500万円もかかる。

 

とはいってもswitchがとても多く売れたのでこれはこれで理解可能。

 

とはいえ個人投資家が気軽に買える値ではない。

 

企業の理解と東証の改善さが求められると思う。

 

この点はステークホルダーに忠実かつ、

株式分割を積極的に行う

トヨタに軍配があがると考えれば良いかと思う。

 

 

 

次の一手。

神戸市で用途地域変更の可能性がある。

 

用途地域変更とは、人々の行動変容を期するものであり、

また同時に大幅に規制を緩和するという意味で

人々の生活にとって重要な制度変更である。

 

ですが、文句をひとつだけ。

正直言って遅きに逸したと思う。

提案するのも手を付けるのもおそすぎた。

といっても以上全てを責める気にはならない。

 

しかし用途地域変更は住民の合意や内容の理解が不可欠なのと、新しくなにか物事をしたいという人に対しての適切な説明が行われなければならない。

 

本当はこうしたいあーしたいと市民から積極的に働きかけがあってしかるべきだが、

そういった層は大阪や東京に行って商売をしている可能性がある。

彼彼女がこちらに戻ってきやすいような条件設定が不可欠だ。

 

しかしその中で用途地域変更の見直しが出てきたのは素直に評価するべきだ。

 

神戸は特別だといくら念押しをしても人は寄せ付けれない。

 

私はこう言っては不謹慎かもしれないが、

都市が震災という壊滅的なダメージを一回引き受けてそれを再生するという遠大なストーリーはどの都市にも達成しづらいものであると考える。

消防条例は見事なものだと思うし、それによってデザインというのは制限を受容するものであれど、建築家やデザイナーは制約の中で才能を発揮するものだと思う。

 

用途地域変更の中身をみていきたい。

*住宅地の建ぺい率変更

容積率80%
建ぺい率40% →
容積率100 % 建ぺい率50% 1mの外壁後退

*1低専 →2低専

小さなお店や
カフェなどが可能に
(150㎡まで

今まではお店をやるなら住宅併設でなければいけなかった。

 

* 幹線道路周辺で建てられる生活利便施設や業務施設の幅を広げる
1中高→ 

2中高 1住居/2住居 準住居 (→に行けばいくほど建てれる裁量が広くなる)

 

*1中高

→2中高

オフィスや中規模の店舗の立地が可能に
(それぞれ1,500㎡まで)

*オフィスの容積率200%→ 容積率300 %

 

もちろん今後の意見募集や議論過程で変更するところは多くなるだろうし、全ての地域が変更になるわけではないことを留意されたい。

 

 

住宅地域においては一種のカンフル剤にはなるだろうと思う。

例えばエスコヤマのようなカリスマが現れれば話は違うのだけれど、

神戸にそのような人物を許容寛容出来る態度があるのかどうかがポイントではある。

とはいえそんなネームがビッグなものを皆が求めているわけではないようにも見受けられる。

 

ちっちゃな、小さく味わいが深くて実は東京レベル(笑)みたいなものを欲しているのだ。

それはコンビニやスーパーにいくだけでは手に入れれないような地元だけにしかないエッセンスみたいな。

 

ただ私はそういうものこそが大事だと思う。

なんでもかんでも規模を大きくすれば人が来るという経営者が殿様のような態度は

一切ウケない。

 

需要は確実に細分化を辿っている。人の好みはそれぞれ違う。

規模を追い求めてはいけない。

小さくあり続けるべきだ。

 

しかしこれらの話とは違う線で雇用の問題がある。

これは用途地域を変えたからと言って早々解決できない。

神戸空港の国際化も企業を集める誘因策ではある。

 

私は今後神戸に必要なのは

 

>優秀な金融解説者

>優秀な理系研究者

>メディアの細分化

 

だと思う。

 

この国は今後産業が勃興するとは臨みにくい。もちろん変化には対応できる供給体制は整ってはいる。

しかしリードする分野で神戸が再び盛り上がれるかというとかなり難しい。

 

それには一定程度人材の「分野」において

スクラップアンドビルドは必要になってくると思う。

 

金融では、膨大な家計金融資産を生かさなければいけない。

金融仲介者は投資商品を売るだけであって、投資をするプロが売っているわけではない。であるからは詳細な説明が必要。そのためには知識や経験を積まなければならない、予想屋は必要になってくる。

神戸にアセマネはもっと増えても良いと思う。(どこでも出来る仕事だからだ)

 

 

理系においては例えば医療も情報がかなりネットで手に入れるようになり予防医療としての

概念の範疇に入るように感じる。人々が勝手に判断しているとも受け取れるが、

風邪程度においていちいち医者に行くというのもすごい国だ。

 

私はかねがね疑問に思うのは、

普通勉強というのは

逆算をしてから勉強をするものだと思うのだ。

 

医者になりたいから勉強するというのも立派な動機だが、

〇〇を研究開発したいから〇〇をするために違う分野をも勉強して〇〇大学に入らないといけないその後就職というのはかなり無駄を感じる。

 

無駄はいいと世間では言っているが、本当にその研究をしたい人間からすれば

余計であり教育は利権かと感じざるを得ない。

最短ルートは必要である。

 

まぁしかしムダも生きる上では最低限必要かもしれないのでスルーしたい。

 

 

あれこれ述べた。

しかし正直言って、生産地を大事にしない国家は私は破綻すると思う。

国家からすれば神戸は生産地としては大変重要な街だと認識していると思う。

 

だから東京と比べるというのは筋違いなのだ、本来は。

人口減少が問題視されているが

工場では省力化が進んでいるので、工場の仕事がなくなり

違うところに人材を投入できると考える事もできる。

 

用途地域の見直しの話に戻れば、

もう一度工場地としての魅力を高めたいかと人々に問えば

どういう返事が返ってくるだろうか

用途地域の見直しというのはそういうことなのだろうとも思う。

 

日本はモノを輸入して加工して輸出をすることで栄えた。

カネを貯めて投資する。カネを活かすのが今後の産業でもあると思う。

 

本当はこの家計金融資産は若い世代に投じるべきだと思う。

 

神戸はもとより、日本はモノがあふれている(供給過多)。

モノで心が満たせる時代ではない。

そして心はカネでは買えない、人間が人間の行動によって心は獲得できるのだろう。

 

私が提案したいのは、

今まで医療が一番偉かった分野であったが新分野を作るべきだと思うのだ。

 

今後は山に関わる人間に投資してはいかがと思うのだ。

日本の国土の6割は森林であり山地である。

過疎化も進んでいる。

 

そこで過疎化が進む地域にヒトを派遣して(地域おこし協力隊はその一環と考えてもらってよい)

高給を用意し、住んでもらうのである。一定、山の仕事に従事してもらう。

子供が生まれ、その子供が都会に出てくる。

 

それで良いのではないかと思うのだ。

医者は、結局地方を捨ててしまう。

 

その元になる人を増やすべきだと思うのだ。

それはおそらく自民党も感じているからこそ地域おこし協力隊に熱心なのではないかと思う。

 

用途地域変更は正直そこからでも遅くはない。

 

せっかく自民党が与党を握っているのにも関わらず予算を振り分けられないのも少し残念に感じる。

コロナ禍であればコロナラブも増えていいと思うのだが、あまり増えていないようだ。

もう少し時期調整もあるかもしれない。

 

今日はここまで。

 

 

 

 

 

 

東京一極集中はおかしい。

人口停滞

政令指定都市から東京への流入が止まらない。

地域の文化資源が守れなくなっている。

例えば地域の重要な味を守り続けたお店が無くなるかもしれない。

とても悲しいことだ。

 

メディアは必ず権力化する。

今の若い人はそれほど対抗できていない。

民間主導の何が問題か?

よく地方公共団体が行う再開発の手法に、

民共同で行うというものがある。

 

私は、この手法は地元経済圏において雇用を創出するという名目の元行われているというのは知っている。しかし、入るテナントを見てみると、殆どが地元経済圏以外に本社を置く事業主ばかりだったりする。地元で経済を回すとはいえない、そういう状況がある。

まぁ確かに、本社が域外でも税金を辿っていけば最終的に地方交付金として降りてくるという話はなくもない、ふるさと納税も然りだ。後者は、恣意的なので完璧とは言えないが。

なのでだ。

美味しい話で地域が活性化するといった類は、まぁ茶番である。必要とも言える場合もまぁ性善説からだが多い。

 

と、話が飛んだが、結局地方に本社が置かれないと

地方から女性が流出する。ホワイトな雇用先が無いからだ。

結局のところ、社会的地位が低い場合において、家庭内の教育水準が上がると必然的に外へ出たがる。これは仕方ない傾向だし必然だ。

ゆえにいかにして帰って来させるかというのがメインテーマだ。

 

この現代において、プログラミングは英語で書かれる。

日本語は圧倒的に不利なのだ。

東京に集まってもそこで産み次世代に繋げようという意思は感じえない。

国内都市に存続可能性がないからだ。例外は沖縄である。

外国人に選ばれる街が、今後の日本の選ばれる街になりうる。

そこを国語が救えるかと言われれば、私はプログラミング言語

日本語をフォーマットとして選択するという手段しかおおよそ日本の取れる選択肢はないと考えている。誰もやらないけれど。

 

私が有能ならやっている。でも無能なので提案するだけにする。

 

 

「何もない」は価値を生むのか?

私は社会主義者ではない。

行政は所得の再配分を行っていくべきである。

今の日本は人口が多すぎた。

これによって、過密化が起こり、緩やかに需要は減少する。

 

変わらない供給に求められるもの

:エネルギーの効率性

:土地の広大性

:安心安全便利快適

:人としての尊厳の確保

:生活レベルの底上げ

:アクティビティの充実

:関わり合いを増やす(個人的願望)

 

 

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私は、幸せになりたい。

今のままではよくないと思っている。

私は男性だから、結局のところ行き着く先は無能だ、これは女もそう。

だが、残せるものがあるから、それを残す。

そして、また変わっていく。

どうやって関わり合いを増やしていくのか。

レベルをどうやって合わせていくのか。

努力するのか、退化するのか。

 

私はゆっくりやっていくことを選択した。

あまり後悔はしていない。

また新たなきっかけも生まれると思っている。

確かなものがあったらよいのにな、と思う日々である。

 

 

 

 

相続税と固定資産税。

 

人口減少の時代、住宅地の税金が商業より安くてどうするんだマジで。

住宅地ばっかりになって、レオパレスとか大東建託の問題が出てくるんじゃないか。

 

構図的な整理

 

市=固定資産税収入を狙うため、開発を優先しがち

国=相続税収入を狙う。

 

www.nikkei.com

 

一回、日本人(都市に住まう人々)は山(自然)を捨てる時代になるだろう。

そうやってしまうと、合理化が一層進むことになる。

山とは、本来人間も接してきた場所、エネルギーの供給源であった

ことを忘れがちな人々に、

よりインパクトのある接し方が場合として

求められ、それはとても拙速さを増すと考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自由の過程は、不自由さを生む。

 

そもそも自由とは離れている状態。

離れなければならない状態。

 

もとに戻ることが出来ないということ。

 

その過程で空気が形成されていれば、

縛られるということじゃん。

 

そういうやつら世の中にいっぱいいる。

何が自由だ。